杉並区の東京立正高校 1970年7月18日
この、立正高校の被害については、それが疑う余地もなく大気汚染によるものであるととれる当時の校長の詳しい記載があります。また、それを否定するかのような厚生省や専門家の見解に対しても反論を展開しています。
その記載によりますと、被害の要旨は以下のようになります。
その日は休暇に入る前日で、午前中の学校行事が終わり、11時過ぎから半数の生徒が下校を始め、そのあと各種のクラブが練習を始めていました。また教員は、会議を12時15分に終わって、昼食をとりに行こうとしていました。
朝からスモッグがかかり、特に10時頃からひどくなり、300メートル先の山や森もぼけて見え、構内の短大の塔までもかすんで見えていました。そのため、学校案内を作成するための写真撮影を延期せざるをえなかったほどでした。また、風は微風で、蒸し暑い、うっとうしい日でした。また、屋内にいた人には、曇りだと思っていたくらいで、屋外ではスモッグのかなたに太陽が映り、地面には影も映らない位でした。
教員たちは昼食を済ませ、皆一様に目が痛い、変だ、睡眠不足かな、などと話しながら、昼食を摂った秘書課の事務室から校舎の出口に向かいました。
12時頃、ソフトボール部が練習を始めました。程なくして部員の中の4名が咳をしはじめだんだんひどくなるので、ベンチで休んでいたところ、2人が「胸がつかえる、息が入らない」と言い出し、保健室に向かいました。その間も涙が止まらず、咳き込みがひどく、呼吸困難に陥りました。運動場でも次第に全員が同じような症状を訴え、保健室に駆け込んできました。
重症者は気を失ったように、何の返答もできない。校医が駆けつけてくれたが、すでに重症者は四肢硬直が起こり、止まらない涙と咳で顔面は異様な様子となり、呼吸筋の痙攣のために、3~4秒おきに上半身がベッドから跳ね上がる。校医の初期所見では、何かのガス中毒らしい、ということでした。
他のクラブからも、次から次へと被害を受けた生徒たちが異常を訴え、総員43名の教員、生徒たちを全員病院に送ることを、校長は決断しました。